Katya(カティア)のプロフィール

つまづいたらまた立ち上がる。辛いなら誰かに助けを呼ぶ。

私たちは たまに立ち上がることができると気づかずにいる。時には人の助けを求めることができる、そして必要だということを忘れてしまう。思い出しても、何かが邪魔になって助けを求めることができなくなる。よくある原因は恐怖という感情。 人に迷惑をかけて、その人にもう自分に関わりたくないという気持ちをさせてしまう恐怖。弱いと思われる恐怖。人に迷惑をかけるときに感じる嫌な気分に対する恐怖など。

それは当たり前で自然なことです。自分は経験したことがあり、同じことが回りの人々に起こっているところを見てきたからそう思っています。

立ち上がって助けを呼ぶことができないのなら、私にあなたを迎えさせてください

心身の健康、言語とコミュニケーション、文書作成に関心があり、それについて書くことで何かの役に立てることを願っています。

私は専門家やエキスパートではありません。ただ学ぶことが好きで、学んだことを共有して一緒に学びたい。

原語と文化の境界線を乗り越える

書くこと以外、様々な言語の組み合わせで翻訳をしています。取り扱っている言語はインドネシア語、英語、日本語。翻訳業界で個人としてもチーム担当者としても経験があります。

なぜ書く?なぜ翻訳をする?

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すべては鶏小屋から始まった

生まれてから7か月。両親は tedak siten(トゥダッ・シテゥン)の儀式を挙げてくれました。鶏小屋の中に私の未来を象徴する様々なものがあり、私はその中から鉛筆を選びました。

幼い頃を思い出すと、両親が読むことを教えるために作った文字と絵の紙や、私が書いた「Bintik-Bintik Setan(悪の水玉)」という物語が思い浮かびます。

小学生のときは『ハリーポッター』シリーズを読んで言葉の魔法を知ることになりました。J.K. ローリングのような魔法使いになりたいという気持ちが芽生えました。

中学生時代はティーンエージャ研究会に参加して、高校生はジャーナリズム部でした。

読むことや書くことの他に、いくつかの言語と触れ合うことには小さい頃から慣れてきました。

思い出に残った最初の本は、私が幼稚園の頃に買ってもらった英語の絵本でした。小学生の日々は晩ごはんを食べてからテレビの前で英語のチャンネルを見て笑うという風に過ごしました。インターネットを使えるようになってからは動画配信サイトにある日本語の映像を見て笑うようになりました。

大学では日本語を勉強することにしました。大学での経験のおかげで、日本文化をもっと知ることができました。大学が経営する留学生のためにインドネシア語センターで活動したこともあり、日本だけではなく他の国の文化も勉強することができました。

翻訳のことも大学時代で教わりました。特に大阪で一年間留学したときと、3年生の後期から様々なクライアントとお仕事をするときの経験から色々勉強しました。

声をかけてください

様々な人々との出会いと触れ合う機会を与えてくれてことが、書くことと翻訳することの一つのいいところだと思います。どうぞ遠慮なく私に声をかけてください

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